私は今日君とえびせんが食べたい。




えびせんについて考え続けていた。仕事中にお茶請けとしてえびせんが配られたからだ。上役の人が出張に行った帰りに、かさばらなくて値段も手頃なお土産、として買ってきてくれたものだった。

私は、机を並べて働いている人たちを見ていた。みんなさして嬉しそうでもなく、と言って迷惑な様子など一切なく、迷いなく、いっそ夢中で、えびせんをもらっては封を切ってさくさく口に入れていく。えびせんは、こういう流れに合っている。何も考えなくていい。深い動作を必要としなていい。すんなりと自分の

にフィットしてくれるのだ。そして、食べているとちょっとくらいは、今のやっかいなトラブルだって忘れさせてくれる。えびせんを食べている間、私は何も考えない。

しかしそれも5秒くらいのことだ。5秒。心が安らぐ。それが問題になる。さくさくさくっと食べてしまったら、厄介なトラブルは一向に私の目の前にあるのである。申し訳ないけど言わせてもらうと、えびせんとはそういう食べ物なのだ。世界を変える力はない。


えびせんが嫌いだという人はそうそう居ないのではないだろうか。アレルギーの人を除けば、えびせんは私達の日常にすごくさり気なく、何気なく、居るのである。


バイプレイヤーといえば早い。強大なインパクトを残さないけど、頼んだ仕事はきれいにこなしてくれる。きっと人生の要所要所で、えびせんが埋めた隙間があったはずなのだ、私にだって。

そう、えびせんは私の隙間をそっと埋める。しかしそれはいわば応急処置なのであって、建物の壁にはいったヒビを、とりあえずパテで埋めて時間を稼ぐよう。いつかもっとちゃんと工事しなくてはいけない。けっていてきな事実を変化させることはできないのだ。

そこまで考えて私はさっきもらったお土産のえびせんが急に、もう一度口の中に入ってきたように感じた。サクッと、息が音を立てた。

マカロンみたいにカラフルで、チーズも使っておやつというよりお酒に合うようなえびせん。

そしてあなたのことを考えた。

ここ最近、あなたが忙しいことは知っていた。知っていてことさら自分も忙しいフリをしていた。お互い、他にすることがあったら、強いて向き合わなくてもいいと思っていた。きっとあなたも同じことを考えている。

私は今、あなたにも今日のえびせんを見せたくなった。あんまりにもカラフルなもので、蓋をあけたらきっと目を見張るだろう、あなただって、疲れ切っているあなたの目にだって、鮮やかに映るだろう。

そしてきっと、会話を始めることができるだろう。私が今何をしているか、あなたが今なにに困っているのか。えびせんを挟んでいろいろやりとりできるだろう。

そして、箱がからになるときに、運が良ければなにか変わっているかもしれない。





 

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