ピーカンナッツとチョコレート


 


「ヒッコリーの灰」

と言う単語は私の青春の片隅で画鋲の針みたいにきりきり光る思い出だ。S.フィッツジェラルドの短編小説の中にその単語が出てくるのだけど、本を読んでいるときに私は当時の彼氏が他の女と並んで帰っていくのを見たのだった。

私がそこで文庫本をめくりながら待っていることを、知っているはずの男が。他の女と。

作中でヒッコリーの灰は老舗農場の高級ソーセージの隠し味として登場する。その農場も、女主人が死にかけていて経営が死にかけていた。

ピーカンナッツがヒッコリーという木に実ることを知ったのは、友達の結婚式の引き出物でもらったチョコレートまぶしのナッツを食べていたときだった。アーモンドよりは大きくて、くるみほどは大きくな木の実が、渋いチョコレートでくるんであって、もう一つあともう一つと食べている。わりあい真剣に食べている。

渋いというのは、苦いという意味じゃなくて、高いのだ。生半可じゃないということ。いうなれば、こころざし。私のようなものがかじっているには申し訳ないと思うくらい。もくもくと食べてしまう。

ピーカンナッツのチョコレートを作っている会社に興味が出ていろいろ調べていたら、ピーカンナッツがヒッコリーの木の実である事がわかった。妙な符号だな、と思う。まるで、ピーカンナッツはある種の接着剤だったかのよう。過去と現在が繋がった。

重厚なチョコレートなんて本来口に入るものじゃない。ピーカンナッツが結んだ縁である。友達の結婚式帰りに昔のやってらんない恋愛を思い出していられるものじゃない。ピーカンナッツが起こした奇跡である。この木の実にはきっとそういうところがある。モノと人、人と人、モノとモノをくっつける作用があるのだ。

(結婚式は往々にしてそういう事があるけど)

同じテーブルに座っていた男は悪くない。このナッツの包みは彼が自分の分を私にくれたのだ。甘い物は食べないから、よかったら。と言って。 


チョコレート専門店『サロンドロワイヤル』


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