共有できる僅かなものたち



寒い。

無性に口の中が寒い。なにかこう、適度に噛みごたえのあるものがほしい。 

ポテトチップスくらいの硬さではだめだ。なにより、今のこの心もとなさにじゃがいもというのでは役不足。私はそんなことを考えながら思い余ってタバコを買った。普段は吸ったりしない。こういう、わけもなく歯噛みするような、心がおろおろ落ち着かないときにそんなことをするのである。

甥っ子の縁談がうまくいっていない話を今日も姉から聞いたのだった。

うまく行かないというのは、甥っ子のほうは乗り気であるのだけど、肝心の相手かたの両親がさっぱり無関心であるのだという。会いにいくたびに、はじめましてから話が進み出すので、いい加減ヤツもじりじりしだしているのだ。

私は甥っ子の結婚には関心がない。それはいい意味で関心がない。よく育った男である。なんだって自分の力で乗り越えるだろう。

しかし、ヤツの相手の親御さんについてはなんとも嫌な気分がするのだった。甥っ子は目が見えない。NPOの職員をしていて、先だってのパラリンピックにもスタッフとして参加した。

私は、相手の親御さんに対して差別だ偏見だ、という貧相な感想しか持たない自分がまったくおぞましい。結局それは、他ならぬ私自身が甥っ子を

目が見えない、哀れなやつ。

と思っているんだ。こういうことが起こるたびにそう思い知らされる。

そういうもんですよ。

と、他ならぬ甥が以前私に言った。彼の右のまぶたは完全には閉じきらず、隙間から黒目が時々見えるのだ。彼は味付けのアカイシガニをカリカリかじっていた。

食べますか?

というので一つもらったものだった。小蟹の姿焼きは酒のつまみとしてよく見かけるけれど、甥がくれたそれは卵がまぶしてあるからか、滋味深くなかなか美味かった。

うまいね、これ。と私が言うと、甥は嬉しそうにニッコリしてみせた。これね、職場の友達がくれたんです、うまいでしょう。いいやつなんですよ。僕がぱりぱりしたものが好きなのを知ってて買ってきてくれるんだ。と、そういえばそんなことを話していた。今、思い出した。

そしてこうも話していた。

そいつが、僕が好きなものを知っている。僕が、そいつの好意を知っている。そういう、ちょっとしたことを共有できて、少し気分がよくなる。僕はそれがすごくうれしいんですよ。だから、ちょっとくらい人から冷めて見られたって、そりゃ仕方ないんです。

酒が飲みたいな。それから、例の小蟹をどこで買ったらいいのか、ヤツに聴いてみたいな。私はそう考えて、少し、口寒さが退いたのだった。

     

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